オカルトについて冷静に考えてみよう。

世に不思議無し、世凡て不思議なり

はじめに ~オカルトを信じてる奴なんて頭が悪い、キモい!と思っている貴方へ~

現代における「オカルト」

皆さんは「オカルト」と聞いて、まず何を思い浮かべるでしょうか?

「幽霊」「呪術・魔法」「超能力」「宇宙人」「UMA」「宗教」……。

とりあえず真っ先に思い浮かぶのはこのあたりでしょうか。

 

それらと同時に浮かぶのは「非科学的」で「時代遅れ」。

科学を知らぬ無知で蒙昧であった昔の人間は、分からないことを全て「神仏」や「霊魂」などといった「目に見えない高次の存在によるもの」のせいにする事で理解・納得しようとしてきただけであり、「科学」が生まれた現代ではそれらは全て時代遅れの「作り話」「世迷言」になり下がった。たいていの方々は、多かれ少なかれこのように考えているのではないでしょうか。

 

 

基本的に、まったくその通りだと思ってます。

災害や異常気象や日食等の天体現象などを含め、この世界に起こる森羅万象のほとんど全ての基本的な仕組みを人類は既に解き明かしてきました。稀代の天才科学者アルベルト・アインシュタインの登場によって、人類は「時間」「次元」といった目に見える形の伴わない「モノ」まで科学で解き明かそうというところにまで進んでいます。

 

そして、「科学」がその歩を進めるごとに、「神」や「魔術」などといったオカルト的概念はその居場所を失っていきました。「オカルト」とは、「無知」という心の隙間より忍び寄るもの。例えば人類社会においてまだまだ「宗教」「信仰」というものは大きな幅をきかせていますが、それらの信者である人々がいまだに本気で「天国・地獄」や「死者の復活」などを信じているか? と問うならば、ほとんどの人は積極的かどうかはともあれ「No......」と言うでしょう。

 

そしてついには1996年10月23日、宗教界で最も大きな権力者であるローマ教皇ヨハネ・パウロII世によって、「新たな知識により、進化論を単なる仮説以上のものとして認識するに至った」という見解が発表されました。もちろんこれはカトリックが神を否定したというわけではなく、「魂を創造できるのは神のみ」であるとすれば「進化」と「創造」は決して矛盾しない、という意味合いのようですが。しかし、それより数百年昔であれば、地動説を唱えたために迫害されたガリレオ・ガリレイよろしく、進化論を主張などすればよくて破門、悪くて火炙りに処されていた事でしょう。

 

それは一例に過ぎませんが、それだけオカルトの居場所というものは社会から急速に失われています。これからより多くの事が科学によって解き明かされ、オカルトが減っていく事は間違いないでしょう。

 

それは良い事です。人々が迷信から解放され、正確な知識に基づいて倫理やルールが出来上がるからです。日本ではほとんど目にする機会もないですが、アフリカやインドなどまだ多数の地域で、現在でも迷信から「魔女狩り」「生贄」を名目にした殺人行為が行われ、数多の惨劇が生み出されています。

 

それに相対して、主に先進国の知識人の間では、「科学の発達に伴って、人々の心から感謝や畏敬といった大切な感情が失われてしまい、人心が荒廃してしまった」という意見が多く、また日本という科学先進国に暮らす僕たちも、多かれ少なかれそれに頷ける部分があるのではないでしょうか。

 

ただ、それはそれとして。

「今、オカルトと呼ばれているものの全てが嘘なの?」

というのはそれとはまた別の問題ではないでしょうか?

 

「オカルト」って、そもそも何?

では、そもそも「オカルト」とは何なのか?

オカルト……ラテン語の「Occulta(隠されたもの)」を語源とし、目に見えない、触って感じられないものを意味する。そこから派生し、超自然現象・神秘的現象を表す。

現代社会において包含する意味合いは拡大され、「既成の知識体系から外れ、その枠内に収めることのできない事象や物事」全体を表す言葉として認識されています。

 

冒頭で挙げた、

「幽霊」「呪術・魔法」「超能力」「宇宙人」「UMA」「宗教」

といった項目は、この「オカルト」の範囲に入っていますね。

もっとも、キリスト教イスラム教・仏教など巨大宗教の主要な教派に関しては、すでにかなり体系化されていて人々の慣習・価値観にまで浸みこんでいますので、あまりオカルトであるという感じは受けないかもしれません。

もっとも、その教えの最奥部にまで踏み込めばどうしても神秘主義的な部分に踏み込む事になりますので、このブログにおいては「オカルト」の一部として扱わせて頂ます。

それを不愉快に感じられる方も少なからずいらっしゃる事と思いますが、少なくともこのブログにおいては「オカルト」という言葉に侮蔑的な意味合いは全くありませんので、あくまで「現代科学で解析できていない事のひとつ」として理解して頂ければ幸いです。

 

それでも「不思議」はそこかしこに転がっている

ここで少し、僕自身の体験談を話させてください。

 僕のお婆ちゃんは、いわゆる「近所で有名な霊感少女」でした。

お婆ちゃんは別に特定の宗教に属していたわけではなく、その時代の他の皆と同様「親の代からそういうものだと言われている仏教的な習慣」くらいしか信仰心など持っていない人でした。

ただ、世にいう「霊感」というものがかなり強かったらしく(霊感というものの証明云々はここでは割愛させてください)、中でも有名なのは「死者の予見」でした。

親戚や親しくしていた人、ご近所さんなどで誰かが亡くなると、その少し前にそれを予見する事ができました。別に誰々が体調を崩していた、とかそういう前知識無しの状態でそれができたようです。

それを不思議に思っていた僕の母親が「どうしてお母さんは誰かが亡くなる事が前もってわかるの?」と尋ねてみたところ、「わたしは誰か繋がりがある人が亡くなる少し前になると、必ず自分の歯がポロポロと抜ける夢を見るんだ。その夢を見ると、必ず誰かが亡くなったという知らせがくるんだ」と言っていたようです。

その他にも、一度も会わぬままに亡くなった遠縁の親戚と夢で話して、その人の特徴がドンピシャに当たっていた、とか、生まれてすぐに亡くなってしまったため存在すら教えられていなかった自分の兄と会話していた(もちろん他の人にはそれが見えてない)とか、そんな逸話の事欠かない人でした。

 

そのお婆ちゃんの娘である僕の母親は、世間でカルトと呼ばれる教団の信者だったりします。

その教団はキリスト教原理主義を標榜していて、いわゆる幽霊だの占いだのという「オカルト」はNGとされていました。そのため僕は幼い頃からそういった霊的な要素のあるTVも漫画も見せてはもらえず、学校での会話についていけずに悔しい思いをしていました。

しかしてどっこい。母親もそんな祖母の血をダイレクトに引き継いだようで、祖母ほどインパクトのある逸話はないのですが、その手の話題に事欠かない人です。

母親からそんな話を初めて聞かされたのは今でも忘れません。僕が小学校4年生の時です。ある朝、台所にいる母親に「朝ごはん食べたい」と言いに行ったら、いつになく母親が体調悪そうにしています。「どうしたの? 風邪でもひいたの?」と尋ねてみたところ、「昨日の夜、悪霊が枕元に来てずっと語りかけてくるから全然眠れなかった」などと言い出しました。

それを聞かされた時の僕の衝撃たるや。それまで宗教上の決まりから「幽霊なんていない、そういう嘘を題材にした映画とか娯楽作品を見る事もダメ」と言い続け、僕から娯楽をとりあげ続けてきた母親本人からその言い草。子供ながらに「こいつ何言ってんだ?」と思い、さすがに突っ込みました。「お前が幽霊とかいない、たとえ作り話でもそれに触れてはいけない、と言うから自分は学校で話題になってる映画も漫画も見れない。それなのにそれを禁じた自分が悪霊云々とか言い出すとは何事か」と。

そういうと母親は、「それは違う。聖書にあるように神に反逆した天使というのがいて、そういう堕天使(母親たちは悪霊と呼ぶ)が幽霊とかそういった形をとって人を惑わそうとしてくるんだ」と答えました。

 

母親の言っていることが正解かどうかはここでは問題ではありません。

そんなのお前のオカンが夢と現実をごっちゃにしてるだけだろ、と言われれば、「まあ、普通に考えりゃそうよね」と答える他ありません。

ただ、ここで問題になるのは、「母親も祖母も僕を騙そうとして話を作っていたわけでは確実にない」という事です。

そんな事をして彼らに何の得があるでしょうか。それどころか面白がらせるため、怖がらせるための作り話としても、これほどのミスキャストはありません。

どう考えても、祖母も母親も「本気」でした。

 

以来、僕はある程度親しくなった人、話のわかりそうな人には積極的に「僕はこんな経験をした事があって今でも不思議に思ってる。君はそういった経験って何かある?」と尋ねてまわっています。

おかげさまで社内外で「あの人ちょっとイタい」というクールな評判を得るに至りましたが、そのかいあってたくさんの情報と見識を得る事ができたので、後悔はちょっとしかありません。それに、イタいという評判は会社の新人の面接時に話のできそうな奴だと思ったら「性癖なに?」と聞いたり、女の子(さすがに仕事外)に「オナニーする時ってどんな妄想してるの?」とか聞いたりするせいかもしれないので、オカルトはまるで関係ないかもしれないし。

 

積極的に話を集めてみると、「僕に作り話をしてもメリットはない」、「むしろイタい人に見られたくないから普段は自分からそんな話は絶対にしない」という条件を満たした上で、なお「こんな不思議な事があったんです」という話は世の中にけっこうたくさん転がっているものでした。

 

もちろん作り話をする奴もいましたが。でも、作り話ってすぐにわかるんですよ。

なぜなら、作り話にはかならず「ストーリー展開」と「オチ」があるから。あとは「理由づけ」。「後から聞くところによると……」みたいな。誰に聞いたんだっつーの。

2ちゃんねるの「怖い話スレ」も進められて見てみましたが、作り話しかありません。実際に体験「してしまった」話って、そんなストーリー仕立てにはなっていませんからね。もっとも、ああいったものは「作り話とわかった上でそれを楽しむ場所」だから、それで正しいんですけどね。

 

「科学」と「オカルト」は矛盾しているわけではない?

「科学が正しい、オカルトは全て嘘!」という人は多くいますが、過度に科学を盲信するとしたら、実際オカルトを盲信するのと同じようなものです。

科学といえど、間違いもすれば変わりもします。

この100年間の科学の歴史を紐解いてみれば、学説が変わらずに存在し続けているものなど全体の何割くらいでしょうか? 科学もその中で何度も何度も変化を繰り返しています。今では間違っているとされ否定された学説でも、その当時においては常に「真実」として大半の人々が信じていたのです。とすれば、今僕たちが「真実」として教えられている「科学」だって必ず変わります。

 

そもそも、アインシュタインに劣らぬ偉大な科学者として賞される万有引力を発見したアイザック・ニュートンも、はじめは周囲から「オカルト・フォースを導入している」と非難されていました。それが現在では「科学の進歩」の象徴のひとつとして社会から認識されるに至っています。

 

そして何より、科学はまだ「世の中の全て」を解明したわけではありません。

宇宙や生命なども、現代の科学で判明できている事などごく一部です。

「科学では証明できない不思議な現象」があるならば、それは「現代の科学ではまだ理解できていないだけの事で、将来必ず証明される事」と考えればよいのです。

 

結局は、「人が生きる理由」を知りたいから

勘違いもたくさんあったとしても、それでも全てを否定しきれない「今の科学では解明できない本当にあった不思議なお話」。

 

このブログではそんな不思議なお話を披露したり、

不思議を求めて僕が尋ねた「霊能力者」や「宗教家」のお話をしたり、

オカルト関係の書籍の感想を書いたり、

科学の知識からオカルトを分析したり、

それら得た情報を元にして、僕なりの「オカルトとは何ぞや」を上げていきたいと思います。それによって少しでも「人間ってなんのために存在しているのか」に近づく事が最終目的です。

 

前述したとおり、現代科学は人々の心をたくさんの迷信から解放しましたが、その迷信が抜けた心の穴を埋める代わりとなる価値観を提示してはいません。

天国や地獄なんてないよ、誰も見ていないところでも見張っている神様なんていないよ、だから悪いことをしても罰なんて当たらないよ、となった結果、世界から急速にモラル等「柱となる価値観」がなくなっています。明確な宗教意識のない日本においてはその傾向はとりわけ顕著と言えるでしょう。

その結果、暮らしは豊かになり平均寿命も長くなったにも関わらず、鬱病などの精神疾患の増加、子供の虐待に代表される自然な情愛の衰退、勝ち負けでばかりモノを考えるような人が増えた結果、クレーマーやモンスターと呼ばれる「自分が良ければいい」という考え方を押し通そうとばかりする大人たちが増え、教育現場も荒廃しています。

 

でも、それで早々に「だから科学偏重の現代文明はダメなんだ! 今すぐ自然に帰れ」と結論をあせるのも違うように思えます。人類の数千年の文明の中で、「科学」が人々の価値観の柱になったのなんて、まだほんの数百年。完成されているわけではないのです。そして、僕個人は科学がまだ未踏破の部分である「今、オカルトと言われているもの」の中にその足りない部分を補う要素が残されているのではないかと感じています。

 

  • 一般常識の見地からして不当に高額な金銭の支払いはしない
  • 組織宗教に所属はしない
  • 特定の個人・組織の批判はしない
  • はじめから肯定も否定もしない状態で物事を観察する

以上をブログ運営のルールとしてやっていきます。

 

人生が退屈過ぎて死にそう、という僕みたいな暇人諸氏の方々は、ぜひとも快くお付き合いくださいませ。